インタビュー

2023.10.27

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地域の「お茶飲み場」になるピザの店を。二人三脚で開業を目指す夫婦の今

塩谷町、熊ノ木区。

自然豊かでありながら、矢板市へのアクセスも良いこの地域に、この春から移住をされてきたご夫婦がいます。

東京で出会い、どのような思いで塩谷町へやってきたのでしょうか。

移住後、半年が経ったお二人にお話を伺いました。

髙村 亮さん・桂子さん

2023年3月に埼玉県桶川市から夫婦で移住。
熊ノ木区にある桂子さんの実家の離れで暮らす。
亮さんは元イタリアンシェフ。
現在は塩谷町の地域おこし協力隊として活動中。

塩谷町・熊ノ木暮らし

玉生(たまにゅう)の中心部から北東に約4km、のどかな田園風景が広がる熊ノ木区。

この地区は、廃校を活用した宿泊型体験学習施設星ふる学校くまの木で知られており、その近くに髙村ご夫妻の住まいはあります。

草花が生い茂る広い庭と、築130年を超える大きな古民家が、桂子さんのご実家です。

 

この母屋では桂子さんのお母さんが暮らしており、お二人は同じ敷地内の離れに引っ越してきました。

桂子さんにとっては高校生のとき以来、23年ぶりの故郷での生活です。

「水や空気はおいしいし、自然が豊かなところは変わらない」と話します。

お二人の塩谷町での目標は、母屋の一部を改修してイタリア料理店を開くこと。

2025年春の開業を目指して準備を進めています。

東日本大震災をきっかけに脱サラ。飛び込みで料理の世界へ

今年3月までイタリアンシェフとして働いていた亮さんは、元々サラリーマンでした。

料理人になったきっかけは、2011年の東日本大震災

当時、東京のビル管理会社に勤めていた亮さんは、救援のための仙台市入りを命じられ、被災した現場を目の当たりにしました。

「仙台では1週間、次々に送られてくる救援物資を運び続けました。そのあと東京に帰って、またいつもの仕事に戻るんですが、身が入らない感じがして。

震災後って、『したいことがあったらすぐした方がいい。いつかやるんじゃなくて、今やろう』と思った人が多かったんですよね。

それで自分も今後の人生を考えたとき、今の仕事ではなく別のことだなと思って。じゃあ何をやるかってなったときに、手に職をつける『料理人』というのが出てきました。

前から定年後に飲食店を経営できたらいいなとぼんやり思っていたのもあって。ドキドキしながら決めました」

普段から家で料理をしていて、お弁当も作っていた亮さん。ご家族に芸術系の方が多く、クリエイター職への憧れもあったそうです。

約3年勤めた会社を辞め、28歳で料理の世界に飛び込みました。

未経験でも比較的求人が多かったイタリアンを選び、銀座・新宿・大宮・浦和など複数の店舗で研鑽を積みながら、10年間修業しました。 

 

亮さんが料理業界に入って1年が経つ頃、桂子さんと出会います。

15歳のときに矢板市から塩谷町に引っ越してきた桂子さんは、自然豊かな熊ノ木区で高校時代を過ごしました。

その後、専門学校進学のため町外へ。社会人となってからは、都内の広告系制作代理店や、埼玉県のウォーターサーバーレンタル会社で働いていました。

お二人は2014年に結婚。大学で建築を学んでいた亮さんは、初めて塩谷町を訪れた際、桂子さんの実家に驚きます。

「とりあえずこの家に来て、天井の梁(はり)がすごいなと。太くて黒くて。1番インパクトが大きかった」

 

この家を守りたい。開業のため夫婦で移住

桂子さんの実家の古民家を見て、亮さんは飲食店を開きたい思いを強くしました。

「もちろん単純に飲食店をやりたいのもありますがこの家を守りたくて。でも状況的に守る人が他にいなそうで。

だから将来、僕たちが継ぐのだとしたら、ここを活用しながら商売をして、人に利用してもらいたいなと」

埼玉県の住宅地で育ち、漠然と田舎が好きだったという亮さん。

20代で上京した桂子さんも、亮さんと出会う前に地元での起業を考えたことがあったそうです。

「東京に出て客観的にこのまちを見て、初めてこっちの良さがわかったんですよね。

唯一無二というか塩谷には塩谷の魅力があると気づいて。その魅力を活かしたビジネスって面白そうだなって、ちらっとだけ思ったんです」

いずれ塩谷町へ移り、そこで飲食店を開くことは、お二人にとって自然な選択でした。

埼玉県での仕事を辞め、引っ越してきたのは2023年3月。

満を持して塩谷町での新しい暮らしをスタートさせました。

 

オーガニックビレッジ宣言のまちで“食”から地域おこし

2023年4月に、塩谷町は有機農業の取り組みを地域ぐるみで展開していく「オーガニックビレッジ宣言」を発表しました。

「農業は食との親和性があるし、人脈づくりにもなる。開業する上での近道だと思って応募しました」と話す亮さんは、同月に町の地域おこし協力隊に着任。

有機農業の推進・PR」をミッションとして、イタリアンシェフの経験を活かした活動に取り組んでいます。

その一つが、ピザ作り体験イベントの定期開催です。

町内の農産物をふんだんに使ったピザを、生涯学習センターの野外にある窯で焼き、出来立てをその場で食べることができます。

 

「まずは地元の農産物を使った料理を広めて、少しずつ町民の皆さんに農業への関心を持ってもらえればいい」という亮さん。

その他にも料理教室の講師や、まちの特産品であるニラを使ったジェノベーゼソースの開発など、食の力でまちを盛り上げています。

多忙な料理人時代にはできなかった資格の勉強にも励んでおり、9月には調理師免許を取得しました。

現在はイノシシが自宅の畑を荒らすため、わな猟の免許講習を受けているそうです。

自宅古民家を改修。「お茶飲み場」になるナポリピザの店を

人口減少にともない、飲食店の数も減りつつある塩谷町。

髙村ご夫妻の、ナポリピザをメインにしたイタリア料理店の計画には、地域からも期待の声が上がっています。

お二人は当初の予定を早め、2025年のオープンを目標に準備を進めています。

目下の課題は、母屋の古民家を自宅兼飲食店として改修するための「整理」です。

「うちは昔からの農家だから建物のサイズも大きくて、物置も多いです。その分あちこちにあらゆるモノがあるので、母とも相談しながらそういったものの処分や片づけをしています。

他にも、駐車場になる予定の庭の整備とかも必要で。

やればやるほど次の課題が見えてくるから気が遠くなるときもあるけれど、きれいに片付いた空間を見て、意識的に達成感を味わうようにしています」と話す桂子さん。

地域の人を巻き込んだ開業プロジェクトも来年度に検討中だといいます。

 

インタビューの終わり、地域おこし協力隊として活動中の亮さんに、このまちにとってどんなお店にしたいのかを聞いてみました。

集会所とか、お茶飲み場みたいな感じになればいいです。

いわゆる地域活性化ってよく言いますが、活性状態、つまり常に変わり続けていくときに、人と人がコミュニケーションを取っていないと変化は発生しないんですよね。話す場があってこそ、何かが生まれるので。

当然、レストランとして食事に行くところという認識もありがたいですが、メインの目的としては単純に、人がだらだらしておしゃべりできる場所をつくる。第1目標はそれだと思います」

 

人が気軽に集まって、熱々のピザを頬張りながら世間話をする。

そんなイタリア料理店の開業に向かって、髙村ご夫妻の歩みはこれからも続きます。

 

(2023年10月10日取材 地域おこし協力隊 小松原 啓加)