インタビュー

2024.02.16

「やってきてもらったことを今度はやろう」。元箱根駅伝ランナーが後輩につなぐ襷

「栃木・那須拓陽高校」。

お正月の風物詩、箱根駅伝を走る選手のテロップで、そんな文字を目にしたことはありませんか。

現在、この長距離の名門校で駅伝指導をしている監督は、かつて塩谷を遊び場にして走り回っていた少年でした。

今回は、小さな田舎町から箱根を目指したランナーの物語をお伝えします。

廻谷 賢(めぐりや けん)さん

1997年生まれ、塩谷町出身。
栃木県立那須拓陽高校から日本体育大学に進み、第94回・95回・96回箱根駅伝に出場。
実業団に所属後、2021年より那須拓陽高校の男子駅伝監督に就任。
趣味はパン屋を巡ること。

遊び回った塩谷から箱根へ

「好きか嫌いかで言ったら好きではないですけど、人に勝つのは好きだったんで。練習は嫌いじゃなかったです」

昔から走ることが好きなのか、という問いに気さくに答えるのは、那須拓陽高校の男子駅伝監督を務める廻谷さん。

就任3年目の26歳にして、全国高校駅伝に二度生徒を導いている新進気鋭の若手指導者です。

 

自身も長距離ランナーだった廻谷さんの幼少期は、友人と外遊びをする毎日でした。

中学に上がる頃には、すでに箱根駅伝を走ることを考えていたといいます。

中三のときに箱根駅伝を沿道まで一人で見に行って。

受験生なので私立入試を受ける二、三日前だったんですよ。

さすがに親に怒られましたね(笑)」

 

塩谷中で全国中学駅伝3位の成績を残し、駅伝の名門・那須拓陽高校へ進学すると、2・3年生時には全国高校駅伝に出場。

大学では日本体育大学の選手として数々の大会で活躍し、目標だった箱根駅伝にも三度の出場を果たしました。

 

「お前は先生に向いている」。選手から指導者に

大学を卒業後、廻谷さんは実業団へ進むも一年足らずで選手を引退し、指導者になる道を選びます。

きっかけは、那須拓陽時代の監督からのある一言でした。

「大学の教育実習で母校に行った時に、

『お前は先生に向いているから教員になった方がいい』と言われたのを覚えていて。

ちょうど競技にもなんとなく熱が入らず、選手としての限界を感じていました」

 

それから令和3年に教師となり、一校目で赴任したのも那須拓陽高校。

夜明け前に塩谷町の家を出て、6時半からの朝練を監督し、日中は体育や保健の先生として授業を担当しています。

長距離の指導をする上で大切にしているのは、怪我をさせないようにすること。

「怪我の原因はケア不足だと思うので、

『脚を自分で触りなさい』と伝えています。

そうやって細かくコンディションを確認していくしかないですね」

 

陸上でもらった襷をつなぐ

パンが大好物の廻谷さんは、一度はパン屋になることも考えたそう。

それでも指導者として陸上を続ける理由に、廻谷さんの気持ちが込められていました。

「奉仕の精神ではないですけど、やってきてもらったことを今度はやってあげようという想いはありますね。

塩谷町でもこの学校でも、色んな人にお世話になったのを還元していくのが仕事かなと。

自分の経験を還元して誰かの役に立ちたい気持ちがあって、じゃあ一番求められていることは何だろうって考えたら、やっぱり走ることなのかなと思います」

 

もらった襷をしっかりと次の世代へつないでいる若き監督です。

 

 

(12月26日取材 地域おこし協力隊 小松原啓加)

【広報しおや2月号掲載】