インタビュー

2024.09.17

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菊農家を目指して。都会っ子が塩谷で見つけた「ちょうどいい」距離感

2024年4月、塩谷町は新しい地域おこし協力隊を2人任用しました。

そのうちの一人である齋藤亮賢隊員は、当時23歳。

若くして町の特産品「スプレーマム(西洋菊)」を生産する農家になることを決意し、町に移住しました。

新たな一歩を踏み出して5ヶ月が経つ彼に、地域おこし協力隊になった経緯や、塩谷での現在の暮らしについてインタビューしました。

齋藤 亮賢(さいとう りょうけん)さん

2000年生まれ、神奈川県横浜市出身。
2024年に東京都から塩谷町へ移住し、地域おこし協力隊に着任。
農業研修を受けながら、スプレーマム農家としての新規就農を目指す。
趣味は読書、サッカー。

聞き手・小松原

1997年生まれ、栃木県小山市出身。
2023年4月、塩谷町の地域おこし協力隊に着任。
まちの人を取材し発信するライターとして活動中。

別のやりがいを探そう。都会から塩谷へ移住した意外な理由

今回はインタビューを受けていただきありがとうございます!

亮賢くんが地域おこし協力隊(以下、協力隊)になって5ヶ月が経ちますが、まずは塩谷町に移住する前のことを聞いていいですか?

僕は横浜出身で、小学校から高校まではずっとサッカーに打ち込んでいました。

東京の大学に進学してからは、留学をしたかったのと、読書好きだったこともあり、本屋でのアルバイトを頑張っていました。お客さんの人間観察が結構楽しかったです。

留学は結局、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で行けませんでしたが……。

大学1年の終わり頃からコロナ禍が始まったんだね。
じゃあそのまま就職を?

そうですね。
就職活動をしている時は、特にこれと言ってやりたいことが明確ではなくて、迷走していました。

それで、やりがいってなんだろうなと考えた時に、大きい商材に関われば自分のやりがいも大きくなるかなと思って不動産会社を選びました。
家って大きな買い物なので。

なるほど。それで、実際はどうでしたか?

やってみて、求めていたものはなかったかなと。

営業職だったんですが、お客さんと直接やり取りをする機会が少なく、自分で家を売っている実感はありませんでした。
特にやりがいも得られなかったので、働き始めて半年くらいで別のやりがいを探すために転職を決意しました。

最初は3年は続けようと思ってたんですが、判断は早い方がいいかなと。

結構早かったんだね。
そこからどのように「栃木県」の「地域おこし協力隊」という選択につながったのですか?

2023年の8月に、両親が横浜から那須町に移住したんです。
自分は東京で一人暮らしをしていたので、親が楽しそうに暮らしているのを見ていいなと思っていました。

それでとりあえず栃木で次の仕事を探してみようと思ったときに、父が那須町の協力隊の方と関わっていたので「こんな仕事がある」と教えてくれて、協力隊に興味を持ちました。

それで県内の協力隊について調べ始めたんだね。

いくつかの市町で募集があったと思うけど、塩谷町の協力隊になりたいと思った決め手は何ですか?

やっぱり「スプレーマム農家になるための農業研修」という活動内容ですね。

例えば、「栃木でいちご農家になる」だったら、なんとなく想像できちゃうじゃないですか。
知識はないけど、「栃木でいちごをやる」って普通だなと。

でも、僕はその時「スプレーマム」が何なのか知らなかったし、塩谷町がスプレーマムの特産地だということも知らなかったので、そのニッチなところに魅力を感じました。

昔から変なものや人が好きなんですよね。

面白い……!
未経験の農業に携わることや、知らない田舎で暮らすことに不安はありませんでしたか?

不安はあまり感じなかったですね。

どちらかというと、スプレーマムとはどういうものなのか、どうやって栽培するのかといった興味の方が大きかったです。

募集要項に「農業未経験でも歓迎」と書いてあったし、実際に塩谷のスプレーマム農家さんとお話ししてアットホームな雰囲気だったので、やっていけるかなという直感はありました。

それに、秋田県にある母の実家で「気付いたら近所のおばあちゃんが家に上がり込んでいる」みたいなのは経験していました(笑)

それは田舎あるあるだね(笑)

スプレーマム農家への道。メリハリついた修行の日々

町内スプレーマム農家さんの高齢化が進んでいる中で、後継者として就農するための農業研修を受けているということですが、具体的にどのようなスケジュールで活動していますか?

平日5日間のうち、4日間は町内のスプレーマム農家・鈴木一裕さんのもとでの作業です。

毎週木曜日は、宇都宮市の農業大学校で農業全般について学んでいます。

鈴木さんのところには朝7時半に出勤して、花がある時はまず花の収穫をします。

そのあとお昼ぐらいまでは花の出荷準備をして、午後は苗摘みや消毒準備などのハウス内での作業を行って16時に終わります。

鈴木さんとマンツーマンで作業する感じ?

いや、ずっと一緒にいることはあまりないです。

例えば、僕やパートさんたちが花をビニールに包んでいる間に一裕さんが農協へ出荷しに行ったり、一裕さんがトラクターで耕したところを任されたり。

なので、自分のペースで作業できています。

前職では感じられなかったと言っていた「やりがい」は今どうですか?

そうですね、純粋にやってて楽しいです。

今までやったことがないことをやっている楽しさがあるのと、単純作業と頭を使う作業のメリハリがあるのが自分に合っていると思います。

「支柱立ては俺よりうまいな」と一裕さんに言われたり、できないことができるようになるのも嬉しいです。

それは嬉しいね!
逆にきついことや大変なことはありますか?

定植と苗摘みはずっと座り込むのでシンプルに腰がしんどいですね(笑)

作業している畝の先を見て「うわーまだまだ長いなー」と思う時もあります。

研修が始まって5ヶ月が経ちますが、自分が将来スプレーマム農家になるイメージは湧いてきましたか?

自分で自分の花を出荷して、お金を得るところまでやってみたい気持ちは確実に5ヶ月前より強くなりました。

一方で、2024年8月の豪雨で被害を受けた農家さんもいて、改めて農業の厳しさを認識する部分もありました。

農家になったら、お金を稼ぎながらもマイペースにやっていきたいです。

塩谷の魅力は心地良い距離感。豊かな農家ライフを目指して

地域おこし協力隊として、これからやっていきたいことはありますか?

僕の協力隊としてのミッションはスプレーマム農家になることなので、その研修を優先するのが一番大事だと思っています。

ただ、せっかく「地域おこし協力隊」の肩書きがあるし、将来的に地域の人と仲良く楽しくやれる農家がいいなと思っているので、そういった人との交流を積極的にしていきたいです。

その先に塩谷での豊かな農家ライフがあればいいなと思っています。

豊かな農家ライフ、いいね!
他の協力隊員が主催しているイベントや、地域の行事にもよく来ているよね。

そうですね。
古民家改修イベントに参加したり、役場の友人に誘われて地域のお祭りに出たりもしています。

狭くてもいいから深い関係をつくりたいですね。

では最後に、亮賢くんにとっての塩谷の魅力はなんですか?

正直、移住者だからもっと孤立するかと思ったんですが、皆さんフランクに接してくれます。

最近だと野菜をもらったり、近所のおばあちゃんには会うと必ず「彼女できた?」って聞かれます(笑)

そういう意味で、僕は人との距離感が心地良いと感じますね。

「人」が魅力ですね。
自分もこの「塩谷ぴーす」のインタビュー記事を通して、多くの方々に塩谷の人を伝えていけたらと思います。

今回はありがとうございました!

ありがとうございました!

インタビューの終わり際、

農家になることを近い将来に見据えつつ、楽しくやっているというのが僕の今の温度感」と、自らまとめてくれた齋藤隊員。

これからが楽しみな塩谷の若者です。


 

(9月2日取材 地域おこし協力隊 小松原啓加)