インタビュー

2024.02.26

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目指すのはこの土地と素材本来の味。Uターン就農した有機農家が語る想い

私たちが日々生きていくのに欠かせない「食べもの」。

身近でありながらも、その背景を知る機会はあまり多くありません。

誰がどのように、どんな想いで作っているのかをここで少しでも伝えることができたら。


今回は、塩谷の豊かな自然が息づく中で、お米作りに取り組んでいる農家さんにお話を伺いました。

大島 和行(おおしま かずゆき)さん

塩谷町出身。
2017年に塩谷町で就農し、「大島農園」を立ち上げる。
妻、二人の娘、一匹の犬、三匹の猫、二匹のイシガメと暮らす。
趣味は音楽と自然遊び。

豊富な湧水で育てる無農薬米

玉生の中心部から高原の山間部までの緩やかな上り坂の途中に、「鳥羽新田(とばしんでん)」と呼ばれる地区があります。

山あいにのどかな田園風景が広がっており、イモリやモリアオガエル、野ウサギが生息しているとも。

川には名水百選に選ばれた「尚仁沢湧水(しょうじんざわゆうすい)」が流れています。

 

この綺麗かつ豊富な水で育てられているのが大島農園のお米。

「塩谷町の一番北、最も上流で田んぼをつくれるところがここなんですよ」と話すのが、大島和行さんです。

市場ではあまり見かけることのない品種「ササニシキ」と3種類の古代米を、農薬を使用せずに栽培しています。

「ササニシキは毎日食べてもおいしいし、あっさりしていて和食に合います」

 

古代米は尚仁沢湧水系を源泉とする井戸水に浸し、玄米餅に加工して販売しています。

徐々にInstagramを通して「美味しい」と口コミで広まり、県内外から次々と注文が届くように。

ご自身でも「普通の白いお餅が食べれなくなっちゃいます」と笑います。

 

現在は根っからの農家という雰囲気のある大島さん。

しかし、一度栃木を離れ、様々な経験を経てたどり着いたのが地元での農業でした。

食と環境への興味からUターン就農

もともとは日光市に近い、町西部の西古屋区で生まれ育った大島さん。

小さい頃から絵を描くことが好きで、高校は美術デザイン科に進み、東京の服飾系の専門学校を卒業します。

20代になると国内外を旅するようになり、特にインドのマザーテレサの施設でのボランティアを通して、自分のために生きていくよりも、人のために何かをしたいという思いを強くしました。

また、農業アルバイトや生花の生産、造園業などを経験していく中で、環境問題自然に興味が湧くと同時に、「食」の重要性を実感したそうです。

「ちょうどその頃、塩谷町に指定廃棄物の処分場ができるって騒がれていたんですよね。

だったら近くでその動きを見たいと思って、栃木県内の有機農家で住み込みの研修を受け始めました」

 

佐野市の有機農家での1年間の研修後、2017年に地元・塩谷町へUターン。

実家のある西古屋で就農し、2023年に新たな土地を求めて鳥羽新田へ引っ越してきました。

現在は自宅の目の前に広がる6町歩*の圃場を管理しています。 

*1町歩は3,000坪。

「うち、『おいしいですか』ってよく聞かれるんですけど。

おいしい』って人によってバラバラじゃないですか。

その人の心身の状態によっても、同じ食べものでも『おいしい』と感じることはまばらだと思うんですよ。

だから『おいしい』という感覚はとてもあやふやで。

それよりも、この土地の味素材本来の味。それを目指して作っています。

同じ品種のお米を育てても、その土地の水や土によって味は変わるし、野菜でも人間側が肥料を入れて甘くしたりするのではなく、自然に任せるというか。

その野菜本来が持っている味を追求しています。

それによってできたものが、私の信じている『おいしい』です」

 

すべての生きものが豊かに暮らすために

大島農園では、農業体験や見学を積極的に受け入れ、環境にやさしく安心・安全な食べものづくりを直接感じてもらう機会をつくっています。

就農当初から顔の見えるつながりを大切にしている大島さん。

農業に関心を持ってもらえたり、田植えや稲刈り体験に来た子どもたちがご飯を食べて喜ぶ姿を見るのがやりがいだと話します。

 

「無農薬で農業をやることが環境を守り、地域に貢献することにつながる。

ただ単に農薬を使わないだけじゃなくて、人を含めたすべての生きものが豊かに暮らすにはどうしたら良いのかを考えて行動すること。

これが無農薬でやる意味で、オーガニックだと思っています。

そして本当に豊かなまちに人が集まってきてくれたらいいなと思っています」

農業を通して環境や食の安全、地域へと想いをかける大島さん。

塩谷町で生きとし生けるものを守り続けていく農家です。

 


(2024年1月15日取材 地域おこし協力隊 小松原 啓加)